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築地 寿司の重要事項

国も人も私も貧しかった時代、時間だけはたっぷりあった。
だから、いかに安く、しかも旅の時間を引き延ばすうまりスローな旅をするかが眼目であった。
たとえば、早稲田祭での旅の会の展示に無料貸与された石川県の観光パネルを返しに行く場合はこうである。
当時の国鉄(今の1R)は、学割といって学生の乗車賃を半額にしてくれていたが、貧乏学生にとってさらに活用すべきは「遠距離逓減制」という料金体系であった。
遠くに行けば行くほど走行キロ当たりの料金は割安になっていくという仕組みだが、行先まで単純に往復してしまうと、往と復とでいったん途切れて、それぞれ別計算になってしまう。
これを途切れないように距離を延ばし、逓減のメリットを活かすためには、帰り道に同じ路線を通らないようにして回遊の形を作ることである。
その間の途中下車は自由だから、目的地もそのひとつにしてしまうのである。
具体的に私がやったことは、まず東海道本線の夜行鈍行列車で早朝、京都に着き、夜中までそこで過ごし、再び夜行列車(北陸本線)で金沢着。
パネルを返却、ここでもたっぷり市内見物をして、また夜行で富山に向かう。
同じ手順を繰り返しながら糸魚川から松本までは大糸線、校本から東京・新宿までは中央本線を使って帰京。
車中泊の繰り返しだから宿代はゼロ。
それを可能にしたのは、今とちがって列車がゆっくり走ってくれるからだった。
こんなに貧乏ではなくなってからも、私の「小さな旅」を試みる性癖は抜けず、今に至っている。
通学、通勤の定期券を持っている、というのは、このための有力な手段であり続けた。
本来はある地点からある地点まで移動する手段なのだが、ここでも途中下車自由が役に立つ。
折りを見ては途中の一駅、一駅に順番に下草して歩き回っては戻って来る。
通勤沿線だけだとやがて飽きてくるので、週末に時間が出来ると、子どもを連れて別の線に〝遠征″することも重ねた。
小さな旅,スローな旅いつも、散策の目安にしていたのは私の場合は古本屋だった。
おかげで、東京の山手沿線の古本屋の所在はだいたい頭の中に入っていた。
子どもたちにとっては、父親の古本屋めぐりは退屈だから、時間を決めては自由行動ということにし、それぞれが〝探検″を楽しんでいた(他の父親のようにパチンコ屋に入らないことが不満ではあったが)。
夕刻のグランド・キヤ二オン国も人も豊かになり、交通手段は飛躍的に便利になった。
速さこそが命となった。
一九八八年から八九年まで、私と私の家族全員(五人)はニューヨークで暮らしていた。
この町は、毎日「小さな旅」を繰り返しても尽きせぬ奥行きがあった(9・11以降には、それ以前にあった光彩は失せたように私には思えるが)。
私たちは、世界に名高い美術館、メトロポリタン・ミュージアムからそう遠くない所に住んでいた。
ある時、知人の老夫婦がやって来て、わが家から一週間、通い詰めたが「未だ十分に見切れない」と嘆きながら帰って行った。
時はバブルの絶頂期、わが同胞たちは海外旅行にせっせと出かけ、「金にあかせて」という表現がぴったりの振舞いが目立ち、久しぶりに簡素な生活に戻ったわが家族を驚かせた(ロ日本ではいろいろと副収入があったのを絶ってニューヨーク暮らしを選択した父親について来たのだから)。
ニューヨークで迎える母国からの旅行者たちは、お金は豊富に持っていたが、時間はそう持っていないのが共通の特徴だった。
ある時、知人の娘が来て、メトロポリタンに案内した。
請われるままに正面の階段で、建物をバックに記念写真を撮ってあげた。
が、彼女は中に入ろうとしない。
そんな時間はない、エンパイア・ステート・ビルディングに上らなくてはならないし、自由の女神も観に行かなくてはならないし……。
「この中には美術の宝物がいっぱいあるのだけど」と言っても無駄だった。
度々のアメリカ暮らし(私は三度、家族は二度)のなかで、いろいろな所に観光をふくめて出かけたが、やはりもっとも壮観なのはナイアガラの滝と並んで、グランド・キヤニオンだと思う。
そして、この自然の驚異とも言える大峡谷が最もすばらしい姿を示すのは夜明けと陽が沈む前の夕方である。
なかでも夕刻の、次々とカラーフィルターを取り換えていくかのような色彩の変化は息小さな旅,スローな旅を呑む。
山上のロッジの前にロッキングチェアを持ち出して、このパノラマを満喫するのには、そうお金はかからない。
ロッジに一泊するのは、そんなに高くないからだ。
だが、わが同胞たちは昼前、続々とバスでやって来て、夕方にはもう姿を消している。
なんともったいないことを!とそれを見るたびに思った。
魚で言えば、いちばん美味しい部分をそっくり残して、何ということのない身だけ食べ散らしているようなものだ。
グランド・キヤニオンは日本から違いから時間が十分に取れないのかもしれないが、実は国内の人気景勝地、上高地でも似たようなことが起きている。
極め付けの記念写真撮影スポット、河童橋までは来るが、その先の素敵な遊歩道に足を踏み入れる人はわずか、まして一泊する人はさらに少ない。
旅は「非日常」への脱出だとよく言う。
その一方で、人生は旅によくたとえられる。
息せき切って急いで来た人には、行先は「非日常」でも、そこを駆けめぐる動作には「日常」が露呈する。
日常でも旅でも速く動く手段には事欠かない。
そうやって生み出した余剰の時間をどう使うか。
そこでもファストなのか、スローをとるか。
人生が旅だというのは、迫られる選択が似ているからでもある。
失われた「子どもの楽園」失われた「子どもの楽園」目に光がない子どもたち高野山、比叡山ともに、その開祖、空海(弘法大師)、最澄(伝教大師)は永遠の生命を保ち続けていることになっていて、当然、食事やお茶を日々差し上げたり、身の回りをお世話する人が要る。
開祖のそばに仕える身だから、それなりの修行を積んだ僧でないとつとまらない。
比叡山の場合は、この有資格者になるには一二年の修行を要するという。
二七歳の時に入山したその僧は一二年を経た時、自分には未だ十分な修養ができていないと判断してもう一回、この修行を重ねた。
計二四年。
かつての青年は五〇歳を超えた。
その人にとって、京のまちに下りるのは、浦島太郎が龍宮城から戻るようなものだったろう。
この「今浦島」が久しぶりの俗世に何を感じたかを友人たちは知りたがった。
まちに車が多いのに驚いた、とこの僧は言った。
聞く側がそう驚く感想ではない。
もうひとつ驚いたことがある、とその人は続けた、という。
「まちに子どもたちの遊んでいる姿がない」こちらの感想には虚を衝かれた思いをしたり、考え込んでしまった人も多かったという。
京のまちだけではない。
勉強熱心の親が多い都会だけではない。
私は子どものころとほとんど光景が変わっていない山間の故郷を持つ、この国では数少ない幸せ者だが、景色のなかでひとつ大きくちがうのは、今では野や山や川で子どもたちが遊んでいないことである。
この国ではまちでも村でも、今では遊んでいる子どもの姿はまず見られない。
前章で述べたように、「都のなかの田舎」東京都墨田区を歩いていて、私が思わず奇声を発してしまったのは、「駄菓子屋」があり、その前に子どもたちが屯しているという昔よくあった光景を発見した時だった。
「わあ、子どもたちが遊んでるー」そんなことが特筆すべき珍しい光景となってしまったことも、この国の大人たちはそう失われた「子どもの楽園」気にもとめていないようだ。

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